「不動心」育成ブログ

自分はダメだと感じている人は、実は向上心のある人。自分の弱さを知っているからこそ、人に優しくなれる。自分本来の素晴らしさを発見し、どんな環境にも動じない「不動心」を育成するブログです。ツイッター@shirota_usao

『半沢直樹』が語る 親友はどこまでも親友

半沢直樹』高視聴率の背景

ドラマ『半沢直樹』の最終回が記録的な高視聴率を叩き出した。緻密に描かれた人間心理と俳優陣の迫真の演技は毎回ハラハラドキドキさせられる。何より半沢の歯に衣着せぬ発言は、誰もが共感する会社の不条理に対して見事に核心を突いており、視ている側の溜飲を下げるのに持って来いの内容なのだ。

 

しかしながら、この高視聴率は、現代人の多くが社会生活にストレスを感じている事実を浮き彫りにしている。
半沢が知略を駆使してスリリングに動き回る姿は、あくまで組織内で横行する不条理や抑圧に対してであり、極めて内向きなアクションだ。新しいプロジェクトを立ち上げて成功させるというような外向きのエネルギーの使い方ではない。
現代人がストレスを抱える原因は、ビジネス活動そのものよりも、むしろ社内の人間関係や不条理からきていることが多い。

 

半沢直樹』に出てくる登場人物に同期入行の近藤がいる。繊細な性格の持ち主で、組織内のイジメや抑圧により、ついには精神疾患を患ってしまう。落第者のレッテルのように関連企業への出向を言い渡され、まさに下降線の人生を歩むことになるわけだが、理路整然と反論できる半沢よりも、近藤のような人物にこそ共感できるという人は多いのではないだろうか。

 

相次ぐ嫌がらせや人間関係により精魂尽き果ててしまった近藤を立ち直らせたのは半沢だった。剣道場に立ち寄り、闘争心を体で植え付けようと竹刀を打ち合うシーンは圧巻。半沢のおかげで、近藤の人生はみごと好転していくことになる。

 

これ以降、言いたいことをはっきりと言える精神的な強さを身に付けた近藤。しかし、もし半沢という友達がいなければ、彼は転落一辺倒の人生だったに間違いない。人は一人で生きていくことはなかなか難しく、このドラマのように旧知の親友に助けられることもしばしばあるのだ。

 

疎遠になった旧友はそのままでいい?

半沢と近藤のように、本音で付き合える友達というのはせいぜい一人か二人くらいなものだが、互いに歳を取り、身の回りの環境も変わってくれば、友人関係はだんだん疎遠になってくる。その交流が年賀状のやり取りくらいになってくると、こちらから連絡するのも何だか億劫になってくるのだ。

 

私の場合だと、結婚をきっかけに友達付き合いが劇的に減っていった。さらに子供ができるとなると、家族にかける時間やお金の比重が多くなる。正直なところ、友達と交流を持つ余裕が無くなってくるわけだ。

 

しかし先日、学生時代かなり仲の良かった友達に思い切って連絡を取り、飲みに行く約束を取り付けた。実に7年ぶりの再会だったこともあり、何から話せばよいのか妙な感覚はあったが、お互い結婚して子供もいるのでその辺りの話題ついては事欠かなかった。

 

何といっても一番の収穫は、みんな似たような悩みを抱えていたということだ。仕事や将来のことについて驚くほど悩みが共通していて、かなり意気投合してしまった。
仲の良い友達には本音で話ができる。特に疎遠になっていれば、かえって何のしがらみも恥じらいもなく、より本音で話ができるのだ。
人のうわべだけを見て順風満帆そうに見えることはよくあるが、実はそうではないことのほうが多い。

 

また別の日には、昔仕事でお世話になった方と飲みに行く約束をした。私よりも随分年上で、ある有名な大手企業に勤めている。この人こそ何の悩みもないだろうと思っていたのだけれど、派閥による意味不明な人事や劣悪な人間関係でうんざりしていると漏らしていた。会社が終わってから向かう防災ボランティアに今は生き甲斐を感じているらしい。

 

私はこの再会からも一つの気付きをもらえた。

 

「仕事=自己実現の場」ではないということ。
成功するには仕事を心から好きになければならないといったことをよく耳にするが、自己実現の場は仕事である必要がない。心から感動することや生き甲斐を求めるのは、何も仕事に限定せずともよいのである。

 

これからなるべく疎遠になった友達と連絡を取ろう。

 

FaceBookやLINEなどソーシャルネットワークが一般化している今、昔と比べれば格段に恵まれた環境といえる。これらをうまく活用して、過去の友達と向き合える時間を作ろう。

 

疎遠な友達も捨てたものではない。

 

ロスジェネの逆襲

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