「不動心」育成ブログ

自分はダメだと感じている人は、実は向上心のある人。自分の弱さを知っているからこそ、人に優しくなれる。自分本来の素晴らしさを発見し、どんな環境にも動じない「不動心」を育成するブログです。ツイッター@shirota_usao

会社にありがちな「慣習」の功罪

「ヤバい経済学」に見る慣習の恐ろしさ

400万部を売り上げたベストセラー「ヤバい経済学」は、経済書としては珍しく映画化が成され、全世界で大きな反響を呼んだ。経済界の不条理やカラクリを独特の切り口で解説する同作は、アメリカ人の著書でありながら日本相撲界の裏側についても鋭い視点で触れられており、いかにその調査網が卓越したものであるかをうかがい知ることができる。
 
特に冒頭から登場するモンキーストーリーという題目は非常に興味深い内容だった。
 
ある科学者が、サル、檻、バナナ、ハシゴ、ホースを使った実験を行った。檻の中には五匹のサルが閉じ込められていて、天井からはバナナがぶら下がっている。そしてバナナの下にはハシゴが置かれているという状況だ。誰もが想像するように、サルはハシゴに向かって走り出し、よじ登ろうとした。ところが、なんとサディストのような科学者は、ホースを使ってサルに思いっきり冷水を浴びせたのである。サルはびっくりしてハシゴから逃げ出した。二匹目、三匹目と続くサル達にも、同じようにハシゴを登ろうとすれば容赦なく冷水を浴びせる。これを繰り返していると、ようやくサルたちは悟るのである。「バナナがあろうとなかろうと、あのハシゴには二度と登ってはいけない。」
 
さらに実験は続いた。次は檻の中の一匹を、檻の外の新しいサルと入れ替えたのだ。当然、新入りのサルはバナナを目がけてハシゴによじ登ろうとする。しかしその瞬間、なんと他の四匹が一斉に新入りのサルに突進し攻撃を加え始めたという。そこで、新入りのサルはあることに気付いた。「バナナがあろうとなかろうと、あのハシゴには二度と登ってはいけない。」
 
実験は続けられる。檻の外のサル一匹と、檻の中で冷水を浴びたサル一匹を入れ替えた。案の定、新入りのサルがハシゴに登ろうとしたところ、他のサルが新入りのサルに対して攻撃を加える。ここで驚くべきことが起きた。攻撃しているサルの中には、つい先ほど入ってきたばかりのサルも加わっていたというのだ。このサルは冷水のことなど知らないくせに、他のサルと同じように突進と攻撃を加えたという。三匹目、四匹目の際にも同じようなことが起こり、ついに檻の中のすべてサルが入れ替わった。檻の中は、冷水を浴びせられた経験の無いサルばかりになったのである。この状態で、さらに檻の外の新しいサル一匹と、檻の中の一匹を入れ替える最後の実験が行われた。結果はやはり同じで、新入りのサルがハシゴによじ登ろうとすると、他の四匹が一斉に攻撃を加えたというのだ。
 
この最終実験の段階では、ハシゴに登ろうとするサルが攻撃される理由は、どのサルにもわからないはずである。にもかかわらず、攻撃という行動を取ってしまうのは、檻の中で受け継がれた「慣習」がそうさせているからに他ならない。攻撃する理由は「それがここでのやり方だから。」ということなのだ。

無意味な慣習に侵された会社はこういう感じ(具体例)

 このエピソードと同じようなことは、私たちの社会生活の中でも非常に多い。長年の慣行で続いているという理由だけで、その意味を深く考えずに実行していることは、少なからず誰しも経験していることなのである。

特に、サービス業で店舗を構えているような、いわゆる待ちの商売、一日の動きが大体決まっているルート的な業務など、根深い慣習のありそうな業態はいくつか想像できる。しかしそれ以前に、あれこれ考えなくても急激な業績悪化を招く心配がなく、とりあえず業績が安定している会社はすべて当てはまるのではないだろうか。
 
たとえば、あるサービス業の店舗があり、5名のスタッフが勤務しているとする。この会社では法人向けの配達サービスも行なっていて、創業当初からA社に向けて商品の配達を行っている。トラックでの配達は店舗スタッフ5名のうち1名が交替で行くことになっていて、毎朝10時にA社に商品を届けるのだが、だいたい2時間程で終わる業務だ。配達時間中、店舗スタッフは4名になってしまうけれども、仕事は十分回していける状況だ。

ところがここにきて、B社からも配達の依頼が入り、これも毎朝10時に届けてもらいたいということだった。B社に対応するには、さらにもう1名のスタッフが店舗から抜けることになるので、店舗スタッフは3名となってしまう。さすがにこれでは店舗の仕事は回らない。そこで、もう1名スタッフを増員することで、B社の配達に対応できるようにした。
 
上記のたとえ話の中でポイントとなるのは、創業当初から毎朝10時にA社へ配達しているというところである。創業当時のその頃、最初に配達した社員がたまたま午前10時にA社に行っていて、それが現在まで引き継がれているというようなケースは多く会社で見られる慣習である。もしかすると、当初はA社のほうから午前10時にという要望があったかもしれないが、それから月日は流れ、今ではそこまで時間帯にこだわっていなかったりすることも非常に多い。
 
仮に、A社に一本電話を入れて事情を説明すれば、長年の付き合いから、意外とすんなり午後の時間帯に変えてくれるかもしれない。午後はさすがに厳しいとしても、相談の持っていきかた次第では、少し時間をずらせてもらったり、数日分をまとめて配達したりなど融通を聞いてもらえる可能性もある。A社に配達の時間帯さえ変えてもらえることができれば、そもそもスタッフを余分に増やすことなく、トラックやそれにかかる経費も必要ない。またこの例では、スタッフは店舗と配達を兼ねているため、配達から戻ると店舗で仕事をすることになる。これでは店舗スタッフが過剰になり、余分な人件費はそのまま企業の収益を圧迫することになるのだ。
 

シンプルを思考を習慣づけよう

安定した社歴の長い会社ほど、目先の経営に対して危機感がなく、効率化の意識が欠落し、そのことに疑問すら持つこともない。経営陣だけでなく、そこに働く社員も徐々に組織の慣習に染まり、矛盾や違和感に気付いたとしても、目立つ行為を慎んで、なるべく保身に走ろうとする傾向が強い。多くの人間が集まる組織体の中では、自分と同一意見の人がいるのかどうか分からない状況が不安をあおり、発言しようとする気持ちを抑えつけてしまうことは心理学的にも立証されている。
 
旧態然とした慣習に何の疑問も持たず、その状況に甘んじてしまう。思考停止状態の人間で構成された組織ほど危ういものはなく、たとえ業績が順調であったとしても、時の流れとともに一旦景気が悪くなれば、もはやそれを打開する思考は持ち合わせていない。時すでに遅しである。
 
私たちの身の回りでも、当たり前と思ってやっていることの本質を突きつめていくと、実に意味の無いことをしている場合が多い。ほんの少し考え方を変えるだけで、今よりずっと良い方法に気付くこともある。そのためにまずは、物事をシンプルに考える癖をつけたいものだ。従来の慣習にとらわれるあまり、物事を難しく考え過ぎてはいないだろうか。難しく考えるあまり、とりあえずできない理由を探していないだろうか。まずは「どうすればできるだろうか。」という思考を習慣づけることが、長らく続いてきた無意味な慣習を鮮明にあぶり出してくれるかもしれない。
 
ヤバい経営学―世界のビジネスで行われている不都合な真実

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